作品「9.11」or「無題」と旅して

作品9.11or無題は「平和を壊さないで」というシンプルなテーマのもとに作られた。

わたしは2003年から2008年まで、小野友之氏統括のJCAA(Japan Contemporary Art Association)に所属していた。

JCAAは小野友之氏を事務局に今井俊満氏池田満寿夫氏のバックアップにより出来た会だ。

2003年12月ARTEXニューヨーク展のため小野友之氏とジョン・F・ケネディ空港に降り立つ。

私の初めてのアメリカだ。同時多発テロの9.11をきっかけに人々の関心は角度が大きく変わったように思う。

そびえ立つビル、マンハッタン。でもそこには、いつも目印とされている貿易センタービルはなかった。

冬の北風がふきすさぶグラウンドゼロ。

心の中にぽっかり穴があくような気持ちにさせられた。

ニューヨークで一番大きい郵便局に行く。

なんとか切手をカタコトの英語で購入できた。

滞在最終日、ホテルから地下鉄にのらず、4時間グラウンドゼロまで歩く。

ニューヨークの人は歩くのが早い。

やはり、日本人と足の長さが違うのか、歩幅が大きい。

勤務ラッシュの時間に巻き込まれ、足がもつれる。

ブロードウェーを過ぎると少し静かなたたずまいになり、そして黙々と歩くと

再びドーンとグラウンドゼロ。

戦争を二度と起こしてはならないと誓った。

2003.12NY
2004.1.5
ホテルから
グラウンドゼロまで
2004.7NY
2005.1NY



次は2006年春、韓国ソウル。

三輪車バイクが走る。街の勢いはすごい。

私が行った時は日本海にテポドンが落とされた時だったが

その時の韓国は電車に乗っていても黄色やピンク、水色など明るい服の人が目立つ。

まるで何事もなかったかのようだ。

人々は平和を意識していたのだろうか。

2007年夏、中国上海、地震のない国。

ニューヨークより細い高層ビル。きらめくネオン。

60年前本当に戦争があったのか、不思議な街だ。

そして2008年2月フランス、ペルピニャン。

私の「無題」のガラス箱もとうとう、ここまで来たのか。

パリから列車で5時間。レンガ色の土地が続く。

ここでは葡萄しか育たないらしい。

フランスの端の十字架。

ここでは信仰の厚い人が住んでいる。

ペルピニャンで温かい歓迎を受けそしてパリへ

ホテルのロビーにピアノを見つける。

小野友之氏の誕生日祝にHAPPY BIRTHDAYの曲を。

私のつたない演奏だが、ランゲの「花」という曲を。

ベートーベンの「月光」をプレゼントできた。

ここはフランスか!ボンジュール。オーヴォア。メルシー。

本当に小野友之氏には「ありがとう」と言いたい。

PS.パリで今井俊満氏が世にでたスタードラー画廊を観た。

オーナーが変わり画廊名を変えていたが。やっぱりパリだ!

2008.2
フランス


日本のアートについて思うことだが私の作品についてコンセプチュアルだとかなんだとか、

一般の人にはわからない横文字を使う人がいる。

私は本能のままでいいと思う。

いろんな国で発表したが外国人に説明はいらない。

観て、感じて、それでいいと思う。

あえて横文字を使うとしたらインスピレーションだ。

魂がそこにある。

それだけだ。

日本人はよく「説明してください」と言う。

生きるのになんの説明がいるのだろう。

作品は生きた証だ。時代と共に生きる。

私の絵にスタイルはない。時代が変化していくとともに作品も変化していく。

そこで観る人の立場に戻ってみよう。

観る人の立場が違えばその人が以前観た感想と今観た感想は違う。

そこには今井俊満氏がよく使った言葉、「偶然のコントロール」が働くかもしれない。

社会は変化していく。作品も一種個体のようでいて、変化している。

生きている。ずっとずっとずっと。


コンテンポラリーアート年鑑2008年度版 一部修正

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